あたらしい友達

自動販売機かわいいと日記

あたらしい友達を作ろう

このブログは好きな自動販売機の写真をプールするために数年前に作ったもので、誰かに聞いてほしいけど、何が面白いのか自分でもよくわからないな…人に話すようなことでもないのかも…?と思ってしばらく放置していました。「冷凍都市でも死なない」のサイトや記事を見て、自分の感じていたことや、行為に名前が与えられたように感じて、私にとってのそれを、#死なない杯だったら受け止めてくれるような気がするので、送ります。


この記事は「#死なない杯」にエントリーしています。あるとわかりやすいので、トップに置いときます。本文は↓ここ↓から。

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あたらしい友達を作ろう

何もかもうまくいかない時ってある。人生で3つ目くらいの大失敗をしてからしばらく経った頃、とにかく疲れているように見えていたのだと思う。長く1人暮らしをしていた東京から、見かねて実家に回収された時期があった。

およそ×××年ぶりの実家は穏やかだったけれど、家族の腫れ物に触るような思いやりが染みるように有難く、同じ位きつかった。そのうち、ちょっと痩せて、ちょっとはげた。誰のせいでもなく、かつ誰にも会いたくないと主張できる正当な理由が出来てほっとした。早朝に会社に行き、終電で帰り、週末は寝てるか、なけなしの貯金をはたいて遠出をし、安宿に泊まった。誰にも会いたくないのに一人でいると、今までの「そうするしか出来なかったけど取り返しのつかない失敗群」と、「出来るわけないのに夢想してしまう理想の回答群」が頭の中を休まず往来した。休みたいのに激しい感情が弾力を持って体内でぶつかり合っていて、うっかりすると呻き声が漏れそうだった。


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ある夜、駅で終電を待っている間、つるっとした質感で光っているそれが目に入った。タッチパネルの自動販売機。時間帯によって「おはよう!」とか「夜遅くまでおつかれさまです」とか表示されて、新商品をおすすめしたり、CMを流したり、その日の天気も教えてくれる。雰囲気としては近未来的なのに、残念ながら本当にタッチパネル機能を備えただけで、特筆するような便利さはなく、でもそこがださくて可愛いなあと思うようになった。なんとなく写真を撮って、Twitterにpostして、ちょっと星が付いたから、それから電車に乗る時には自動販売機を探すようになった。

 

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カメラロールに「自動販売機」のフォルダが出来る頃には、心の中で「おう」くらいの挨拶くらいはするようになっていて、一つの人(?)格を認めていたと思う。私はロマンチックなことを信じたかったし、それを信じるだけのゆとりある自分に戻りたかった。

 

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心の中のことって外からの導きはあっても、本来誰かに解決してもらうのものではないように思う。個人の痛みや後悔はその人だけのもので、寄り添うことはできてもシェアすることはできない(多分)。でもその煩悶の最中にだって、友達がいるのといないのでは全然違う。

友達って必ずしもそこにいなくてもいい。わたしとあなたが友達である事実が重要で、友達のことを考えると、目の前がすこし明るくなる。友達と自分の関係を思うと、自分が何者なのか、おぼろげでもわかる。駅で偶然友達に遭遇すれば、ぱっと華やいだ気持ちになるし、街の中で友達に声をかけられたら、どんな悪い考えに捉われていても、その考え事は中断できる。友達にとって「悪くない自分」でいたい、という欲求は自分を最低限の自分につなぎとめるもので、だからファンタジーでもいい、私にとって自動販売機は「あたらしい友達」一つの砦そのものなんだった。

 

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エピソードはこれで終わりです。(なにも解決しなくてすみません…。)

<あたらしい友達の見つけ方>

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街中にたくさんあるもの。あるいは職場や学校の行き帰りの途中にあるもの。顔がついてるものはみんなフレンドリー。公園の動物型遊具、お気に入りの看板、ペッパーくん、顔みたいに見える郵便受けとか、窓のある一軒家とか。たくさんあるものと友達になれば街中は顔見知りだらけになるし、街に一つしかないもの…例えば駅前にある銅像なら、そこは自分だけの神殿になる。これは想像だけど、街に点在するお地蔵さんには、そういう役割もあるのかなとか思う。

わたしは「あたらしい友達」は無機物のほうが面白いと思う。他の人が聞いたときに意味不明な方が、「自分だけが見つけた友達」という趣きがあっていい。それに思い込みは結びつきを強くする。クマモンとか、キティちゃんとか、マイメロとかもいいけど、ここで書く「あたらしい友達」は、「街の中に既にあるもの」なのが重要なんだと思う。自分の都合で選んだり、買ったりしてない分、ちょっとだけ現実側な感じがする。

もちろん家には家で、ぬいぐるみとか、毛布とか、お気に入りのキャラクターとか、好きなアニメのヒーローとか。ポスターの中のロックスターとか。そういう友達がいたらいい。それが実在する人間でも、そうじゃなくても、友達は沢山いたら楽しい。

私はたまたま自動販売機だったけど、こちらに語りかけてきそうな「あたらしい友達」を見つけるのが上手な人はたくさんいると思う。ATMとか、ポストとか、コンビニとか。「あたらしい友達」は無機物だから余計な事を言わないし、言ったとしても自分の心の鏡みたいなものだから、気にしなくていい。

<ちなみに>

ちなみに今は健康だし、今生でもっとも仲良くなった友達と運良く結婚をして、生活には猫という新タイプの友達が登場し、面白おかしく暮らしています。もちろん人間の友達もいるし、記録する回数は減ったものの、変わらず自動販売機を見れば(心の中で!)挨拶をしています。この自動販売機はいつかインターネットでものすごい流行になる…!と信じて待ってたけど、一向にその気配はなく、何でなの…?このままこのタイプの自動販売機がなくなってしまったらさみしいので、駅で喉が渇いたら、出来るだけこの自動販売機から買うようにしています。アキュアというそうです。

 

www.acure-fun.net


そして、主観なのでものすごい事のように書いたけど、私の辛さはありふれたもので、年齢や時間が解決するものだったのかもしれないし、折に触れて思い出してはやっぱ全然だめ、と思いながら以前と変わらずウーウー唸ったりもします。ただやり過ごし方はずっと上手くなりました。「死なない」って人によって色々だと思うけど、私にとっては積み重ねです。冷凍都市はこころの中にあって、だから街中にあたらしい友達を作ろう。なんつって。

本文はここまで。読んでくれてありがとう。